妻サラの内情と胸の内は?

おもしろ聖書エッセイ!For Women

バイブル中の美しい女性達のドラマがコミカルなエッセイに!

理想の妻サラの内情と胸の内は?

サラ・2

理想の妻サラの内情と胸のうちを想像してみましょう。(前のページの続きです)

神への信仰と同時に彼女は恐らく『夫について何から何まで知っていた』のでしょうね。しかし、夫のために他者の妻になるというこの場合は『夫への信頼』と言う域を超えているように思えます。

おそらく、夫の決定に対して、自分がどう答えを出すかで夫の反応をも、洞察していたのでしょうね。妻であるひとには大いに経験あることですね。ですから、自らの答えが呼び起こすだろう事態を、しっかり読んだものと思われます。

サラの内心は、こうだったかも知れません。

『夫に反抗してどうするでしょうか?この女性の立場が弱い社会にいて(これは無意識に)・・さらには、自分は子を産めない女としての弱みも負っている。夫の依頼を断って、夫に忌み嫌われる妻として生涯を送るよりは、この国の王に辱められたからとて、大きな損失になるだろうか?夫が殺されたなら妻の私の損害も測り知れない。ここは一つ、夫の決定に従ってみよう、ではないか。』

などと考えたか否か推し量るのみですが、想像するのも楽しく何らかのメリットがありますね。しかし、当たらずとも遠からずではないでしょうか?賢い女性なら、サラのように合理的に計算するのは、良い事ですからね。

この推察が全くの過ちでないということは、後に彼女の言動で明らかになりますよ。

この後、サラは自分の侍女を夫に差し出して「子」をもうけようとしますが、その侍女が妊娠するや、サラに対して見下げた態度を取るようになります。この時、サラは確りと夫に侍女を退けることを、恐れずに提言しています。アブラハムは男ですから嫌な気分に取り付かれたようですが、神の助言がサラの正当性を認めたので、仕方なくサラの提言に従っています。

こうして、妻の立場をがっちりと固守する訳です。まさに気の強く確りした女性なのです。

さらに神の奇跡により我が子イサクを儲けた後は、我が子をやじる侍女の息子を追い出すようにと、強力に要請しています。夫にとっては血の繋がった息子にも拘わらずですよ。サラの要望を嫌々ながらも受けざるを得なくなった夫アブラハムを想像してみましょう。

こうして『夫に敬服』し『夫唱婦随』の手本のような妻としてクリスチャン女性の目標となっているサラ!それを期待し、理想像にするキリスト教徒の夫たちが完成しています。

別の角度から、眼光紙背で聖書を読むと彼女は『外柔内剛』であり、もともと精神的に自立した非常に強い女性であった、と思われます。

そして、夫たる男性の本質的心理を読み込むことの出来る思考と感覚をも、持ち合わせていたと推察できますね。

一般に、男性は妻を自分の支配下においてリードしたがる、という傾向があります。しかし、これに盲従していたのでは妻は依存状態から脱する事が出来なくなるでしょう。だから、反抗しなさい、とは決して言ってはいません。

ただ、最近取り上げられる問題として、現代日本の兆候が、老年になりかけてから痴呆症を患う妻達に「夫の指図に従うだけで人生を過ごして来た」場合が多いことも、きっとご存知でしょう。良い意味で自分の思考を使わなければ、その機能は弱体化するのみです。

では、キリスト教徒であってもなくとも、サラから学ぶ妻として現代にも通用するのは何でしょう?そう、夫に対し、その本質を見抜いて認めつつ、自ら萎縮しない大きな気持と「合理的思考」で「夫を包み込める大きな器」の妻である事、ですね。その言葉と振る舞いは、感情を後にして愛に満ち「恭しく」、しかし「内面は強く大きく」です。妻たるものよ、大きくありましょうか。

妻サラの内情と胸の内から学ぶこともありましたでしょうか。理想の妻とされるサラの実情と彼女の胸の内を、自ら推察して、その特質を真似てみませんか。