選択を誤り命を失くした女性?

おもしろ聖書エッセイ!For Women

バイブル中の美しい女性達のドラマがコミカルなエッセイに!

家族と財産、選択を誤り命を失くした女性?

滅びの炎

あなたには命より大切な「物」が あるでしょうか。命の次の「物」はいかがでしょうか。そして「家族」より大切な「物」はありますか?二者択一のジレンマは、時として過酷ですね。

それがクイズや遊びの場合は、選択のミスもまた笑えて楽しいものです。しかし一虚一実の今の世にあって、重大な選択を突如として迫られる日が来ないと、誰にも言えないものですね。

さて、昔々、聖書に記録されたままで今なお「愚かさ」の手本として多くの人々に知られてきた女性がいます。ちょっと可哀想な気もしますが、後々の女性のためですからね。

それは、アブラハムの甥ロトという人の妻でした。(彼女からすれば幸いにも名前は知られていません)

ロトは、叔父であるアブラハムと共に神の命ずる場所へと天幕生活をしながら、行動を共にした信仰の人でした。ロトの妻も、当然不便な生活を忍んで長い天幕生活を、続けたことでしょう。それから推考すれば、夫唱婦随であり神への信仰もあったと考えられます。

そんな生活をしている折、アブラハムから離れて、家族でヨルダン地方の風光明媚な豊かな土地であるソドムという場所に住む事となり、落ち着いた生活を楽しめるようになったのでした。さぞ、喜んだでしょうね。

もともと財産にも恵まれていましたし、ロトの妻にとって、それまでの天幕生活とは違い、ソドムは安定した住処のある都市として心を満たされたのかもしれません。夫と娘二人の四人家族で、日々を平穏に紡いでいたのでしょう。

しかし残念ながら、その都市は汚れた性の倒錯的行為が、殆どの人々によって普通に行われており、不道徳と悪行に満ち溢れていました。都市の中に「たった5人」でさえも、正しい人間を見出せないほどだったようですから、神によって処罰されることになります。周囲へ与える影響もあるでしょうし、放っておく訳にはいきませんよね。(創世記18章・ユダ7節)

夫ロトは都市の状況について「この義人は、人々の間に住んで彼らの不法な行いを日々見聞きして、その正しい心を痛めていたのです」から、彼自身はソドムと言う自分の都市に満足するどころか、概、苦悩の原だったようです。(ペテロ第二2章) 夫ロトは、どろどろの不潔で悪事に酔いしれる多くの人間の中に居ながらも「義人」を通していた『泥中の蓮(はす)』のように、悪に染まらず清さを保つ存在だったわけですね。

では、妻の方はどうだったのでしょうね。夫婦で一緒に暮らしていて会話を交わしていれば、今、住んでいる都市に対する感想が、当然のように言葉になりますから、互いに感じ取るものです。そうであれば、全く反対に、妻の方は汚い悪行に塗り上げられた都市を、愛していたとは考えられません。きっと、夫と同じ様な感情を抱いていたと思われます。

さて、この夫の「義」は神に高く評価されていましたから、ソドムへの処罰の日が近づいた時に、家族全員を救うための指示が与えられます。逃げるように導かれるのですが、この指示が、ロトの妻にとって人生の岐路となります。どんな指示がロトの妻にとって大きな試練になったのでしょうか?

「逃れて自分の命を救いなさい。後ろを振り返って見てはならない!」(創世記19章)です。 『後ろを振り返ってはならない!』一見すると・・ごく簡単な指示のように思えます。ただ家族4人揃って一目散に、命からがら逃げればいいのですからね。ロトの妻も夫ロトの後姿をみつめながら、後を追えばいいのですからね。

ところがです。なんと!ロトの妻はというと、途中まで家族と共に必死で逃げていながら・・・思わずでしょうか?それとも強い未練でしょうか?好奇心からでしょうか?恐ろしい災難に見舞われているソドムの都市を振り返ったのです!(この都市の滅びについて、火山爆発なのかどうかは分りませんが、今は海の中に沈下しているという説もあります)

そして、突如!彼女は、そのまま塩の柱と化し、死んでしまったのです。これまで長い間夫や娘たちと苦楽を共にし、人生を送ってきたのに!ただ「振り返った」だけで、大切な命を失ったのです。夫ロトと娘たちの、驚きと哀しみの程を想像してみてください。「なぜ、振り返ったの?」と思ったかもしれませんね。本当に、なぜ振り返ったのでしょうね?

夫ロトと同じで、彼女がソドムに未練があったとは思えません。では、なぜ?ここで例えを考えてみました。地震の災害時のことをね。 天災が増えていますのでリアルです。大きな地震が起きて、逃げるチャンスが到来したなら、家族皆で逃げます。おそらく、妻や母ならば、家族が全員逃げているかを確認しながら急ぐことでしょう。自分だけが、後ろを振り返っている間などありませんね。それでも、もし振り返るとすればですが・・・それはなぜでしょうか?

どのようにして自分の家が倒壊していくかを見てみようという「好奇心」でしょうか?或いは、置き忘れてきた「大切な物」を戻って取りに行こう、と考えるからでしょうか? ロトの妻の場合は、イエス・キリストが、新約聖書の預言の最中に、ロトの妻の実例の答えを、警告の意味を込めて提出しています。こうです。

「その日には、自分の持ち物が家の中にあっても、取りに戻ってはなりません。ロトの妻のことを思い出しなさい。」(ルカ17章)

そうなのです。「持ち物」!自分の財産の数々だったのでしょうね。或いは、貴重な何かだったと思われます。必死に逃げたものの、ある程度大丈夫と感じる距離まで辿り着いてから、ふと!気が付いたのでしょうね。「あれ(物)は、どうなってしまったのだろう。」とか。宝石でしょうか、衣類でしょうか、食物でしょうか・・・それが、どんな物なのかは、知る術もありません。しかし、彼女にとっては、結果において文字通り『命より大切な物となって』しまったのです。

しかし、振り返る直前に、彼女の目に入っていたのは・・・今この瞬間、息遣いも荒く必死に駆けている夫や娘達の姿な筈だったことでしょう。その家族の姿が、彼女の心には、どう映っていたのでしょう。もし、どれほど大切な「物」でも「家族」の命に関心を向けていれば、「振り返る」という愚かな行為はしなかったのでは?

普通、人は自分の「命」を優先するものです。ロトの妻のようにはならないでしょう。 でも、「家族」と「物(財産)」の場合はどうでしょう。家族?財産?二者択一を緊急に迫られた時にその答えを出すのは自分ですね。果たして、私たちはどちらを選択するでしょうか?当然、家族です!と言われることでしょう。きっと、その通りでしょう。

ただ、おそらくロトの妻も、このような事態に直面するまでは、そう思っていたのです。そういう意味で、考えさせる警告の記録になっているに違いありませんね。家族と財産、選択を誤り命を失くしたのは女性ロトの妻でした。折に触れて、ロトの妻のことを思い出し、自分の中で「家族か?物か?」と自問してみましょうか。