良妻賢母は我が子のために夫を騙す?

おもしろ聖書エッセイ!For Women

バイブル中の美しい女性達のドラマがコミカルなエッセイに!

良妻賢母は我が子のために夫を騙す?

良妻賢母リベカ

「女性」に「母性」が挑む時!それは母親が我が子のために、我が夫を欺かねばならない時でしょうか。内実共に「良妻賢母」であればあるほど、葛藤の強さは測り知れなませんね。

しかし、夫たちにとっては「女性」としての妻を理解する難度は、結構高いでしょう。まして「母性」に支配されている妻の理解ともなれば、難度の高さはこれまた辿りがたいかも知れません。自分の母親の在りし日の情愛を思い起こしても、曖昧模糊状態でしょう。仕方がありませんね。造りが異なるのですから・・。同性同士でも、母性の強弱は違うのですしね。

さて、女性の持つこの「母性」のお蔭で人類は生き延びて繁栄し、今や70億人に到達しようとしています。勿論、人口の増加に「母性」だけが貢献している訳ではありませんが・・・もしも、全ての母親が「我が子」を捨てて、死なせてしまっていたならどうだったか?と考えた時には、これも大切な要素の一つに違いありません。

では、あなたは可愛い我が子のために、愛する夫を欺く瞬間がありますか?止む無く、そうしなければならない時がありますか?

母性愛を持つ『妻』が、子供の父親でもある『愛する夫』との狭間で心が揺れながらも、決定をしなければならないという状況は、多少誰にでもある経験ですね。そして、やはり「良妻」「賢母」であれば、ジレンマはより厳しく圧し掛かるように、感じるものでしょうね。

昔々、聖書に(創世記)登場する料理上手で働き者の美しい良妻賢母リベカが、そうした経験をします。天幕の(簡単に言えば、今のテントのようなもの)生活とはいえ、この家族は家財・家畜にも富んでいましたし、比較的平和でした。彼女は愛する夫イサクとの間に双子(恐らく二卵性)の男児を儲けました。

双子の兄は、エサウという名で性格的に少し問題があるようですが、狩猟は得意で名ハンターだったようです。おいしい獲物を仕留めては、父親イサクを喜ばせていました。これが理由の一つなのか・・父イサクはこの息子を愛していたと記録されています。「食」は人の心も動かすもののようですね。

弟はヤコブ、(後にイスラエルと呼ばれるようになる)ご存知イスラエル人の、いわば名実共に元祖です。この人は穏やかな羊飼いで猟に出る事もなかったのでしょう。天幕に居たという記述があります。そこから推して、勝手ながら思うに、母親リベカと一緒に居る時間が長かったので、母子関係も深まったのではないでしょうかね。母リベカはヤコブの方を愛したそうです。

そうこうしている内に、やがて夫イサクは年老いて目が霞むようになり、自分が逝去する前にすべきことの必要に迫られたのでしょう。将来を左右する遺言のような大いなる恵みである「神の祝福」を、ヤコブではなくエサウに、引き継ごうとしました。

イサクにとってはお気に入りの息子だったのでしょうが、実は、エサウは親を悩ませる傾向の強い子でした。母親としては勿論のこと、妻としてもリベカには納得のいかないことでした。あなたならどうなさいますか?この状況で、リベカがどうするかに注目しましょうか。

夫イサクとエサウの重大な「神の祝福」を与える前準備の会話を立ち聞きしたリベカは、反対でしたが、直に夫に進言することはしません。ここで「良妻」の立場を守ります。なかなかですね。

しかしイサクの指示を受けて「祝福」の前に、先ずはおいしい獲物を食べさせようと狩猟に出かけるエサウの後姿を眺めながら、思ったことでしょう。

『今だわ。エサウが戻ってきたら事は終わってしまう。夫に対して、本当に申し訳ないけれど、間違った決定なのよ。度々はあった夫の判断ミスも、これまでは目を瞑ってきたわ。でも、これだけはそうはいかない!家族と子孫のためにも、このまま軽薄で愚かなエサウに祝福が、述べられてはならない。そう、なんとかしなければ・・・。視力が弱くなった夫を欺く事になるのは分っている。でも、やはり・・・神から見ても、素直なヤコブに祝福が述べられるようにしなければならない。』(これは勿論、想像です)

リベカは賢い策を練ります。夫欺き作戦です!

そこで、息子ヤコブに子ヤギを持ってこさせて、夫好みの味付けをした料理をこしらえます。そして、ヤコブにエサウの洋服を着せます。これは匂いの違いに気づかれないためでしょう。さらに毛深いエサウの特徴をも、作戦に使います。子ヤギの皮を手と首に当てさせます。触感をごまかすためです。

さあ、開始です。母リベカの作った料理を手にして、変装した弟ヤコブが、父のもとに近づき「祝福」の言葉をいただいてしまいます。父イサクは、ヤコブをエサウと思い込んでしまい、全く騙されたのでした。リベカの母性が勝利したのでした。

この後、弟ヤコブとしては、怒ったエサウから逃げる結果となり、故郷を出ることになるのですが「神の祝福」は、ヤコブの生涯中ついて回ります。

では、ヤコブを安全のうちに逃すこともした母であるリベカはその後、夫との関係はどうだったのでしょうか。

その件については聖書に記録はありません。それで、ここからはおもしろ推察です。おそらく、リベカは内心で結果に満足していた事でしょう。夫が妻リベカの欺き作戦について、怒り狂わなかったのはリベカの判断の正当性を、認めたからでしょう。どちらかといえば、夫イサクのほうが感情的な決断をしたのかもしれないのですから。リベカは自分の良心の呵責を過度に感じたり、逆に『してやったり』とほくそえんだりはしなかった事でしょう。しかし、「母性」が「女性」を降参させた結末の歓びを、ひとりでそっとかみ締めては、微笑んでいたかもしれないですね。

リベカは「良妻」を貫き、そして理性的に賢い「母性愛」をも兼ね備えた女性でした。この微妙なバランスを見事に保ったリベカ!

現代女性に何か益があるでしょうか?多分、先ず、大切なのは『平素から夫の信頼を得ている妻でいる』事でしょう!。そうであればこそ、ここぞと言う重大な時に!という人生の瞬間には、リベカのような行動も、夫に反省を促すものとなるかもしれません。日常の何気ない日々に、夫の信頼を勝ち得ておくことが、第一の要点でした。

そうであれば、本当に子供を守るべき「母性」を発揮すべき日が訪れた時に、母性優先の効果は倍増するでしょう。ですから、普段は夫の軽はずみに見える小さな決定には、真っ向から反対せず知恵を働かせて、巧みであるようにしておきましょうね。何よりあなたの可愛い子供のためですからね。

良妻賢母は我が子のために夫を騙す。それは、リベカでした。一度、重大なことにおいて、夫イサクを母性愛のために欺いたリベカ!だが、やはり、美しき「良妻賢母」なのです。